1984年、夏。ロサンゼルス。 レース後、自分の姿を見て惨めな思いになり、落ち込んだという。しかし、世界中からの称賛と、勇気をもらったという多くの励ましに気持ちが癒されたそうだ。「自分よりも、最後まできちんと走りきった他の選手を称えるべき。」とは彼女の言葉。どんな状況においてもベストを尽くすことの大切さを学んだレースだったとも言っている。 この大会には、日本から増田明美と佐々木七恵が出場している。増田は、80年代の陸上長距離界で数々の日本記録を打ち立てた名ランナー。しかし、このオリンピックでは思うように走れなかった。19位でゴールした佐々木に対し、増田は16km地点で途中棄権してしまう。救急室のテレビに映ったアンデルセンの姿。肉体的にはまだ走れたはずの自分と重ね合わせた。「なぜ、そこまで走れるの?」同時に心の中でつぶやいていた。 「これじゃ、日本に帰った時に私がいろいろと言われるじゃない!」とも。今だから言える事として、彼女は折に触れて語っている。 彼女への期待が大きかった分、その反動は尋常ではなかった。挫折感と周囲からの激しいバッシング。所属する会社をやめて競技生活から離れる。逃げるようにアメリカに渡り、オレゴン大学に陸上留学。その後、再びマラソンへの情熱が芽ばえ、あのオリンピックから4年後の1988年、大阪のレースに出場する。これは、次回ソウルオリンピックの代表選考会でもあった。しかし、ブランクは大きく、まったく精彩のない走りとなってしまう。追い討ちをかけるような沿道の観衆からの心ないヤジ。「お前の時代はもう終わったんだよ!」。思わずその場に立ちすくんでしまうが、懸命に最後まで走りきった。30位だった。ゴール後、涙がこぼれた。それは、悔しさ以上に、再び走ることが出来た喜びの涙だった。 翌年、東京女子マラソンにおいて、日本人最高の8位入賞を果たしてカムバックするも、92年に、13年間の現役生活にピリオドを打った。その13年間で、彼女は実に12回の日本記録を打ち立てている。
この夏、どんな風が私たちの心を走り抜けるのでしょう。 |