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リビングウェル

勝者と敗者のはざまで 女たちの42.195km

SPORTS あの日あの時, 特集号 summer/2008

1984年、夏。ロサンゼルス。
うだるような暑さの中、オリンピック初の女子マラソンがスタートした。この歴史的なレースを制したのは、地元アメリカのジョーン・ベノイト選手。スタジアムは歓喜に包まれていた。その20分後、異様な光景に観客は息を呑んだ。上体を横にくの字に曲げながら、フラフラと歩くようにゴールを目指すひとりの選手。まるで泥酔者のようなその姿。脱水症状である。明らかに危険に思えた。競技係員が何度も駆け寄り、彼女の状態を確認する。手を触れればその場で失格。だが、薄れ行く意識の中でも彼女はゴールする意思表示をしていた。放送するアナウンサーも涙声。やがて、大声援の中を一歩ずつ踏みしめるようにゴールし、係員の腕の中に崩れ落ちた。
ガブリエラ・アンデルセン(スイス)。39歳。


レース後、自分の姿を見て惨めな思いになり、落ち込んだという。しかし、世界中からの称賛と、勇気をもらったという多くの励ましに気持ちが癒されたそうだ。「自分よりも、最後まできちんと走りきった他の選手を称えるべき。」とは彼女の言葉。どんな状況においてもベストを尽くすことの大切さを学んだレースだったとも言っている。

この大会には、日本から増田明美と佐々木七恵が出場している。増田は、80年代の陸上長距離界で数々の日本記録を打ち立てた名ランナー。しかし、このオリンピックでは思うように走れなかった。19位でゴールした佐々木に対し、増田は16km地点で途中棄権してしまう。救急室のテレビに映ったアンデルセンの姿。肉体的にはまだ走れたはずの自分と重ね合わせた。「なぜ、そこまで走れるの?」同時に心の中でつぶやいていた。

「これじゃ、日本に帰った時に私がいろいろと言われるじゃない!」とも。今だから言える事として、彼女は折に触れて語っている。

彼女への期待が大きかった分、その反動は尋常ではなかった。挫折感と周囲からの激しいバッシング。所属する会社をやめて競技生活から離れる。逃げるようにアメリカに渡り、オレゴン大学に陸上留学。その後、再びマラソンへの情熱が芽ばえ、あのオリンピックから4年後の1988年、大阪のレースに出場する。これは、次回ソウルオリンピックの代表選考会でもあった。しかし、ブランクは大きく、まったく精彩のない走りとなってしまう。追い討ちをかけるような沿道の観衆からの心ないヤジ。「お前の時代はもう終わったんだよ!」。思わずその場に立ちすくんでしまうが、懸命に最後まで走りきった。30位だった。ゴール後、涙がこぼれた。それは、悔しさ以上に、再び走ることが出来た喜びの涙だった。
翌年、東京女子マラソンにおいて、日本人最高の8位入賞を果たしてカムバックするも、92年に、13年間の現役生活にピリオドを打った。その13年間で、彼女は実に12回の日本記録を打ち立てている。


「捲土重来」という言葉があります。
敗れた者がいつか再起を期して反撃に転じる、という意味です。

たった一人の勝者の陰には多くの敗者がいます。今、日本のマラソン界にもまた新しい風が吹き始めています。これまでにも、さまざまな風が幾度となく私たちの心を暖かくしてくれました。“走る”という至極シンプルな競技ゆえに、ランナーたちの孤独感はいかばかりかと想像してしまいます。

この夏、どんな風が私たちの心を走り抜けるのでしょう。






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