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  • 栗城史多プロフィール
  • 栗城史多オフィシャルサイト
  • 1982年北海道生まれ。高校卒業後、夢も目標もなく、ただ都会にあこがれ東京へ向かうが、挫折。1年間のフリーター・ニート生活をおくる。 上京から1年後には北海道へ戻り、大学に進学。 ふとしたきっかけで山岳部へ入門する。 登山を開始し2年が経過した2004年6月(22歳)初の海外旅行で北米大陸最高峰「マッキンリー」の単独登頂に成功。 2005年1月南米最高峰「アコンカグア」 (ポーランド氷河)に単独登頂してから登山を通して、 地球を感じてみたいと思い、 8000m峰3座と7大陸最高峰のうち6大陸を単独で登ってきた。

    栗城史多は歌わない。踊らない。派手なパフォーマンスで観衆を煽動したりしない。けれどその日、満員のホールの中は、静かな熱狂に包まれていた。栗城氏が淡々と語るその一言一言に、観衆は誰もがじっと耳を傾けていて、ホールに木霊するコトバの断片は、確実にその場の温度を上げていった。

    2009年12月某日。東京国際フォーラム。栗城史多の著作「一歩を越える勇気」の発刊を記念した講演。若きアルピニストの物語を聞くために集まった客層の幅は広かった。栗城氏と同年代と思われる若い男女から、彼の親世代と思われる初老の人々。20代から60代以上の老若男女がホールを埋め尽くしていた。

    過剰な演出は一切なく、語る本人は、バックスクリーンに映し出される自身の登頂映像を見上げながら、淡々と、静かに、けれど軽やかに観衆に語りかけていた。その気取りのないトークに、気づくとステージと客席の距離が縮まっていた。
    けれど。栗城史多は、ただの気さくで素朴な若者ではない。特に体の大きいタイプではなかったが、曰く言い難い存在力を放っていた。異彩を放っているわけでもない。ある種の役者やタレントのように、強烈な自己顕示欲や自意識を纏っているわけでもない。よくオーラがあるとか、そんな表現が使われるが、そういった物言いは彼には似合わない。僕の話をきいてくれ!といった鬱陶しさが皆無なのである。

    そして彼が生み出す親しみの空気に包まれていると、こちらは、たとえばどこかの民宿の火燵を囲んでお茶でも啜りながら彼の冒険談に耳を傾けている。そんな気になってくる。

    ・・・それからまた吹雪の中を歩き始めて、でもやっぱり眠くて眠くて、それで、ふと気づくと、僕は実家の玄関にいるんです。親父が寄っていけって手招きしている(笑)あぶないでしょ。もう少しで親父に殺されるところだった(笑)・・・

    ハードな雪山登頂時の幻覚の話も、彼はそんな風に語る。ホールには、自然に笑い声が起こる。けれど。観衆の誰もが、彼の話をリアルにイメージすることはできない。
    極寒の吹雪くヒマラヤ山脈は、私たちの生活からはあまりにも遠い。彼の冒険譚をひたすら聞くしか術がない。それにヒマラヤ山脈には、観客席は設置されていないから、登頂中の彼の姿を誰もライブで追うことはできない。

    たとえば私たちはベースボールプレーヤーを球場で応援することができる。サッカーのプレーヤーであればスタジアムから。マラソンランナーであれば国道の舗道から。ボクサーであればリングサイドから。フィギュアスケーターであればアリーナの観客席から。直接、声援を贈ることができる。アスリートに近い場所で同じ時間を共に過ごすことができる。

    しかし。私たちは栗城史多と、同じ空気を吸うことはできない。エベレストの山頂近く、成層圏に近い空間の中を登り続けるアルピニストには、誰も声援を贈ることはできない。
    よくベースボールプレーヤーが試合後のヒーローインタビューでこう答えることがある。ファンのみなさんの声援がボールをあそこまで飛ばしてくれました。そういった温かい声援とは、登頂中の栗城史多は無縁だ。

    だからきっと彼はアルピニストでありながら、自身のサポーターでなければならない。アスリートと観衆。どちらの役割も演じなければならない。

    ・・・最後は、ありがとう、ありがとうっていいながら歩き続けたんです・・・
    そんな彼のコトバがある。その時、心の奥底の潜在意識とか深層心理と呼ばれるものより、もっと奥底のどこかから、声は聞こえてこなかっただろうか。幻の大観衆の怒号のような声援は聞こえてこなかっただろうか。自身を前に進ませる、そんな声援が。
    登頂の途上、ファンの大歓声や喝采を浴びるわけでもなく、極限の孤独を受け入れながら、ひたすら自分を励まし歩く彼の姿。きっとそこに人は共感するのだろう。映像の中の彼の背中からメッセージを受け止めるのだろう。

    自分の標高ってものを、自分で決めてしまったら、もうそこから先には行けなくなるよ。
    栗城氏の登頂姿はそう語りかけているように思える。

    今夜も栗城史多は、誰かの脳裏で極限の登頂を繰り返しているにちがいない。
    最終列車。満員の車両。アルコールの匂いの中、疲れ果てた会社員が、吹雪の中を往く栗城氏の背中をイメージしているかも知れない。

    深夜の病室。長引く治療。点滴のチューブ。手術の恐怖と闘う患者が、エベレストの山頂で旗を振る栗城氏の笑顔をイメージしているかも知れない。

    あと一歩だ。もうちょっとだ。がんばれ。あきらめるな。まだいける。栗城のように。
    そんな自身の奥からの幻の声援に耳を澄ませているかも知れない。

    きっと誰でも胸の中に、自分という幻の大観衆を抱えている。幻のエールと喝采の中、孤独を噛み砕いては飲み込み、それぞれの頂きに向かっている。

    栗城史多は、全身を賭けてそういうことを伝えている。