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報道写真家 渋谷敦志

報道写真家 渋谷敦志
渋谷敦志 プロフィール
大阪出身。15歳から一眼レフカメラで写真を撮り始める。
高校生のときにベトナム戦争の写真集を見て報道写真家になる決意をする。
大学在学中には1年間ブラジル・サンパウロの法律事務所で研修。
卒業後フリーとなってアフリカへ。ロンドン芸術大学(旧The London Institute)のフォトジャーナリズムコースでも学ぶ。
  • 渋谷敦志 オフィシャルサイトを見る

特集 渋谷敦志

彼が動くと、視えてくるもの

そのフォトジャーナリストは、まるでジャーナリズムの世界の人間にはみえなかった。
かつて会ったことのある新聞社やテレビの報道系の人間たちの、生真面目で、賢くて、けれどどこか特権意識を滲ませている、そんなエリートの匂いは微塵も漂わせていなかった。

そのフォトジャーナリストとは、どこかで会ったような気がした。
どこか。それは一人旅の途上、たとえばインドの裏町のバックパッカーが集う安宿の食堂。彼に地元の安くておいしい料理を教えてもらった気がする。あのストリートには行っちゃだめだよと、やさしく警告された気がする。

そのフォトジャーナリストは、説教をしない。講釈をたれない。ジャーナリズムの在り方について声高に語ったりはしない。眉間に皺を寄せた社会派ジャーナリストのイメージからは程遠いラフなスタイル。人懐っこい砕けたトーク。 けれど。そのフォトジャーナリストの旅は、非凡な旅だ。紛争地帯の国境を、被災後の倒壊した街の残骸の中を、途上国の貧しい村の未舗装の通りを、彼は歩く。突然のスコールにも傘をささず、カメラが雨に濡れないように身を屈め、彼は歩く。目撃を繰り返しながら。

そして。そのフォトジャーナリストの写真は、ちっとも堅苦しくない。息苦しくない。
所謂、報道写真的な頭でっかちな雰囲気がない。情緒的で、リリカルだ。
途上国で日々の仕事に追われる貧しい少年少女。
被災地の瓦礫に座って途方に暮れる男。
どの写真にも詩情がそこには、在る。シリアスな状況を描写しているのに、視る者は何か美しいものに触れたようなそんな錯覚に陥る。それは不遜な感じ方だろうか。
きっとちがう。彼の写真が深く心に残るのは、ジャーナリスティックな演出や技法やイディオムから自由だからだ。
シリアスな空間を演出的に見せられても、たぶん誰の心も動かない。
そして彼は、それを意識的に行っていない。そんなことは意識的にできるものではないだろう。
そして視る者は、彼の写真の詩情に撃たれる。

そのフォトジャーナリストに或る日、あなたの写真はリリカルですねと聞いてみた。すると彼は少し困惑した顔でこう云った。

・・・それはきっと撮影する時の、僕自身の心のゆらぎが出てしまっているのではないでしょうか。
その被写体を撮影してドキュメントしてしまっていいものかどうか。そんな僕の躊躇が映されてしまうのではないか。迷いが出てしまっているのではないか・・・

そんな風なことを云った。迷う。戸惑う。躊躇う。逡巡する。
そうしながらフォトジャーナリストはシャッターを切り続ける。
少しだけ理解できた気がした。彼の写真の中に漂う詩情を。目には見えない何か詩的な気配を。それは倫理といいかえてもいいかも知れない。
被写体とまっすぐ向き合う撮影者の感情のゆらぎ。

なるほど、被写体の中にあなた自身の倫理までフレームインしているのではないですか?もしそう尋ねたらきっと彼はこう云うだろう。
そんなに格好いいものではないですよ。
そう云って笑うだろう。

そのフォトジャーナリストの仕事を、背後から目撃したことがある。
インドの南、スリランカ。森の中の孤児院で。幼い子供の輪の中に、彼は長い時間をかけながら自然に溶け込んでいった。
子供たちとの距離感が数分毎に縮まっていく。子供たちと戯れながら自然に振る舞う彼は、学年で一番人気のある教師のように見えた。小児病棟で手術後の子供たちを元気づけようと病室を訪れた医師のように見えた。
彼は屈み、子供たちと同じ目線に視線を落とし、ピントを合わせていた。あの時、どこにピントを合わせたのだろう。きっと彼は子供たちの生き様に合わせていたのだと思う。そして子供たちの未来を照射できる光度を探していたに違いない。

そのフォトジャーナリストの目の表情に似たものを、昔どこかで見たことがある。
そう気づいたのは、孤児院の撮影後、子供たちが贈ってくれた長いさよならの儀式を終えて、宿泊地に戻る車中だった。
彼の目の表情は、児童相談所で働く旧友のそれに似ていた。虐待児童のケアが仕事である旧友が、過酷な現状について語った時の目の表情、憤りと悲しみを隠しながら、それでも不幸な状況を打破したいという明確な意志をもった目。
あきらめていない瞳の色。それと温かさ。慈愛といったら言い過ぎだろうか。
けれど、紛争地について語るフォトジャーナリストと、大人を信じない虐待児童を思う児童相談所スタッフは、同様に意志的でやさしい目の持ち主だった。

きっと誰かの心を撃ち抜くことができる写真は、誰かの心に深く刻み込まれる写真というものは、被写体のインパクトは勿論必要だが、それ以上に撮影者のパーソナリティが顕われるものだろう。
そのフォトジャーリストは、被写体を冷徹に丸裸にするのではなく、何か優しく詩的なもので包もうとしている。そんな気がしてならない。
或る対象を映す彼の姿を人は自分の心の中に映し出す。そういう意味では彼もまた被写体だ。それも希有な存在感をもつ被写体だ。
そのフォトジャーナリストの名は、渋谷敦志という。

文/佐藤司郎 SHIRO SATO

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